人が人を評価するということ

 

私の会社では、もうすぐ楽しみな夏のボーナスが支給されます。

 

私の会社では年に2回の人事評価があります。

上司との面接で決まった評価で、ボーナスと昇給が決まります。

 

毎回ボーナスをもらう時、私の会社では、A~Eの5段階ランクによって評価され、

支給される金額が違ってきます。

 

評価のランクはあらかじめ会社で決められた基準があり、それに照らし合わせて

決まります。

 

仕事の数字結果だけではなく、仕事に取り組む姿勢などが評価の対象となります。

みんな生活がかかっているので、この評価を大変気にしています。

 

私の場合、仕事ができるほうではないので、大体、CかDの評価がつきます。

 

冬のボーナスでは妻にセーターを買ってあげましたが、今回は何を買おうかな。

 

ところで私の上司は、どうやって私を評価しているのでしょうね。

 

人が人を評価するって大変なことですね、これは誰もが思う悩ましい問題

だと思います。

 

私が上司から評価を受けた時、なんか釈然としないときがありました。

 

同じような業績で同じような仕事をしても、人事異動で上司が代われば

評価が違ってくることがよくあります。

 

私の長年の経験から気付いたのは、上司と私との人間関係によって評価が

変わると言うことです。

 

要するに、相性が良くて上司に好かれれば評価が良くなると言うことです。

勿論その反対もあります、それは仕事面でもあり、個人的な面でもありました。

 

上司が忙しくて困ってるときの仕事のお手伝いや、たまたま旅行から帰ったときに

渡したお土産に、すごく上司が喜んでくれたことがあります。

 

またある時、私が仕事が終わって退社するとき、上司が夜遅くまで頑張って

仕事をしていました。

 

私はそれを見て大変だなと思い、「遅くまでお仕事大変ですね、お身体には気を

つけてください、これでも飲んで早めにお仕事片づけて帰ってくださいね」と

 

一杯のコーヒーや一本の栄養ドリンクを差し入れた時は大変喜んでくれました。

私は評価をよくしてもらおうという気持ちはまったくなく、人間としての愛情でした。

 

そんなことで上司の私に対する評価が決まることがあるんですね。

それは業績や仕事の取組み以外の人情というプラスαでした。

 

大きく評価を変えることはできませんが、上司のさじ加減でワンランクくらい

の上下はできるようですね。

 

そんな上司は自分自身のことを正しく評価しているのでしょうか。

自分の評価もできない上司が部下を評価できるのが不思議だと思います。

 

でも、まあこれが人間と言うものかもしれませんね。

こころのフィルター

 

私は昨日、久しぶりにエアコンのフィルターの掃除をしました。

前回いつ掃除したのか覚えていませんが、かなり前だったと思います。

 

エアコンのカバーを開き、2か所あるフィルターを取り外しました。

見ると、フィルターはホコリで真っ白になり、目詰まりしていました。

 

まず最初に掃除機でホコリを吸い取り、洗剤できれいに洗い、日陰で干しました。

 

昨夜はいつも通り、エアコンの設定温度を27度にして寝ましたが、

少し寒いくらいによく冷えました。

 

やはり、フィルターの掃除はこまめにしないといけませんね。

快適な環境の中で、私はふと思いつきました。

 

私はこころのフィルターの掃除を怠っていたようです。

もう何年も掃除をしていません。

 

生まれた時は、汚れのないフィルターで、まったく目詰まりしていませんでした。

 

赤ん坊の時は、お腹がすいたり、機嫌の悪い時は泣いて母親に知らせていました。

赤ん坊のこころはとても純真で正直なものです。

 

でも、だんだん成長するにしたがって、こころと言動が一致しなくなりました。

 

人が生きていくことはとても大変で、自分のこころに正直に生きると、人間関係に

摩擦が生じることがよくあります。

 

私のこころのフィルターには、いつの間にか、ホコリがたまってきました。

吸い込んだ空気は、汚れたフィルターのおかげで、私のこころを苦しめました。

 

好きなものでも好きと言えない、欲しいものでも欲しいと言えないことが

よくありました。

 

せっかく買ってきた知人のお土産のお饅頭には、例え甘いものが嫌いな私でも、

とても美味しかったとお礼を言うのが礼儀です。

 

これくらいのフィルターの目詰まりならまだいいのですが、お金のために、

手離してはならない、自分の信念や愛を捨てることになればとても残念です。

 

そうなる前に、手を打つ必要があります。

今空を見ると、いいお天気で、雨の心配はなさそうです。

 

私はこれから人生の反省文を書きながら、こころのフィルターの掃除を

したいと思います。

 

きっと、私のこころのフィルターにはホコリがたくさん詰まっていて、カビも

生えているに違いません。

 

これから私は、きれいになったフィルターで、たくさんの愛を吸い込みたいと

思います。

男一匹泣いてたまるか

 

人生にはいろいろな涙があります、同じ涙でも状況によって随分違いますね。

 

私が焼肉屋に行き、一人で食事をしていると、隣に子供連れの若い夫婦が座って

楽しそうに焼肉を食べていました。

 

まだ子供は赤ん坊で、言葉もしゃべれないのですが、よく泣きました。

私は食事中、子供の泣き声を聞くと、食事が美味しく感じられないタイプです。

 

でも、しばらくして泣き止み、私は落ち着いて焼肉のおいしさを味わいました。

 

泣き疲れてすやすや眠る子はとても愛しく感じます。

赤ん坊が泣くのは、親に愛情を求めて何か訴えているのでしょうね。

 

いつも夫婦喧嘩が絶えない家庭で、言うことを聞かない妻への腹いせに、父親から

殴られる理不尽な行為は、子供にとって悔し涙以外の何ものでもないでしょう。

 

こんな子供に愛を感じるこころは育つのでしょうか。

 

高校受験で第一志望の見事合格発表を見た時の涙は、頑張った自分をほめる、

希望と達成感に溢れる涙ですね。

 

この感動こそが、生きる力の源泉なのでしょう。

人生にはいつも目標を持って、それに向かって努力するのがいいのでしょうね。

 

私の若い頃、私を思い慕う彼女の気持ちに気付かず、最後に見せた彼女のお別れの

涙は乙女ごごろの切なさの涙でした。

 

人の気持ちを理解できない私は、人に愛される資格はありませんね。

 

会社で自分勝手に猛威を振るう鬼課長が、家庭でも好き勝手して、奥さんに

愛想をつかれて離婚して悲しく流す涙は、鬼の目にも涙でしょうか。

 

人の気持ちを考えない人は、涙を流しても、同情してもらえないのでしょうね。

 

仲良く家族団らんで暮していたおばあちゃん、思うように身体が動けなくなり

自分のことが自分でできなくなりました。

 

家庭の事情でやむなくひとり、老人ホームに入居するときのおばあちゃんの涙は、

とても寂しく情けない涙でしょうね。

 

生まれた時もひとり、死ぬ時もひとり、これが人生なのでしょう。

 

今私が泣くときは、ひとり寂しく、自分だけのために作る、カレーの

玉ねぎを切る時だけ。

 

涙のしょっぱさで味わうカレーの味は、私の人生に甘いハチミツが必要。

ハチミツを求めてさまようが、結局最後はミツバチに刺されて痛い目に会う。

 

私は泣いても誰にも気にされない孤独な男、男一匹泣いてたまる

愛妻弁当

 

私がブログを書いているのを知っている友人が、彼の奥さんが作る

愛妻弁当のことを書いてくれと言うので、彼に代わって書いてみました。

 

             愛妻弁当

 

私は毎日お弁当を持って仕事に行きます。

 

私の妻は、朝早く起きて、私のためにお弁当を作ってくれるのでいつも

感謝しています。

 

妻は私の健康のことを考えて、栄養に偏りがないように、そしてカロリーにも

気を使って、毎日工夫してお弁当を作ってくれます。

 

最初の頃は、手間暇かけてお弁当を作って、私が仕事から帰ると、いつも

「今日のお弁当美味しかった?」と聞いてきました。

 

私はいつも美味しかったよと答えていました。

愛情のこもったお弁当に、不味いとは口が裂けても言えませんでした。

 

新婚当時はニンジンを♥️の形にくりぬき、その愛情の熱さに、周りの同僚に

見られて恥ずかしい思いをしたこともあります。

 

そのうち何年も経つと妻の作るお弁当も変わってきて、少し手抜き弁当に

なってきました。

 

手抜きと言っても愛情のこもった手作りの温かいお弁当です。

 

妻の作るお弁当はその日の気分で違ってきました。

私が妻を叱ったときは、悔し涙でしょっぱい味付けとなります。

 

給料日前は、おかずが質素になり、もっと給料をたくさんもらってきてねと

私に訴えます。


残業続きで疲れている時は、お弁当のほかに栄養ドリンクを一緒につけてくれます。

こんな時は妻と結婚して本当によかったなと感じました。

 

かわいい妻です、お弁当の中身をみれば、その日の彼女の気持ちが素直に

出ています。

そんな妻ですが、朝起きていつものようにお弁当を作ろうとしたとき、

左手が上がらないと言って私に助けを求めてきました。


病院が開くのを待って、近くの病院に行って診てもらうと脳梗塞だと言われ、

すぐ脳神経外科に連れて行きました。


手当てが早かったので大事には至りませんでしたが、左手に痺れが残り、

以前のようにはうまくお弁当は作れなくなりました。

 

それでも毎日、不自由な左手を使って、時間をかけて作ってくれます。

 

ご飯をうまくお弁当箱に入れることができなくて、お米がお弁当箱の外について

いることもありますが、それでも毎日作ってくれます。

 

私はそれまで妻がお弁当を作ってくれるのは当たり前だと思っていましたが、

その大変さがわかりました。


今ではお弁当を食べる度に、私の涙でしっかり塩味がついて、今までのふたりの

歩んできた道を振り返り、人生の味がします。

 

かあちゃん今までありがとう、今度の誕生日には、左手に似合うきれいな

ブレスレットをプレゼントしてあげるからね。

ブログはこころの共感

 

   



私はいまここでブログを書いている。

 

山の上の公園から見る風景はとても気持ちがいい。

 

こころが広く感じる素晴らしい時間と空間、そしてお天気もいい。

 

どんな人が読んでくれるのでしょうか。

 

私の気持ちをあなたに伝えたい。

 

私に共感してくれる人は、世界でたったひとりだけでもいい。

 

世間の冷たい風の中、そっと私を温めてくれるあなた。

 

ブログって、誰にも見せない、秘密の気持ちを思いっきり出せる場所。

 

どんなつらいことや悩みがあっても、理解してくれる人がひとりいればいい。

 

あなたがどこにいてどんな人かわからないけれど、それでもいい。

 

あなたも私も、姿は見えないけれど、こころの中はお互いはっきり見える。

 

ひとりで歩いて行くことのつらさをふたりで歩いて、楽しみに変えたい。

 

澄み切った青空や美しい花を見て、しあわせを共感してほしい。

 

ちいさなしあわせでいい、たくさん感じたい。

 

ブログに愛を込めて、あなたに届けたい。

 

私のブログを読んで涙を流してくれる人に出会いたい。

 

きっといる、どこかにいる、世界のなかで本当の私を理解してくれる人が。

こころの遊び

 【今週のお題】 「何して遊んだ?」

 

        朝焼けをみながらブログを考える。

 

厚化粧している女の人に「きれいですね」と言いながら

こころの中では(お化粧代もったいない)と遊ぶ。

 

子ども連れのお母さんに「とてもかわいいお子さんですね」と言いながら

こころの中では(あんたによく似たブサイクな子)と遊ぶ。

 

入学試験前の受験生に「きっとあなたなら合格間違いなし」と言いながら

こころの中では(あんたの実力なんて知ったことはない)と遊ぶ。

 

料理を作ってくれた人に「とても美味しいですね」と言いながら

こころの中では(どんなにまずくても、美味しいですね)と遊ぶ。

 

失恋した友達に「あなたにはもっとふさわしい人がいる」と言いながら

こころの中では(あんたは高望みしすぎるのよ、もっとランクを落として)と遊ぶ。

 

高級車に乗っている同僚に「いいクルマに乗っているね」と言いながら

こころの中では(こころの貧しさをクルマで隠しているのね)と遊ぶ。

 

仕事に忙しくしている同僚の「売れっ子芸人みたいに忙しい」という言葉に

こころの中では(あんたはちっとも売れっ子じゃない)と遊ぶ。